後月郡(しつきぐん)は、岡山県(備中国)にあった郡。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、井原市の大部分(大江町・上稲木町・下稲木町・岩倉町・美星町各町を除く)にあたる。
歴史
当郡の郡名が見える最古のものは藤原宮跡から出土した木簡で、「後木評」とある。郡を評としていることから701年の大宝律令以前の物であることがわかる。大宝律令の際に現在の表記「後月郡」に改められた。平城宮跡からは「後月郡後月郷」と記された木簡が出土されており、後月郷は後の駅家郷と考えられている。郡衙の位置は荏原郷・足次郷・出部郷など諸説あり、特定できていない。郡制廃止後の地方事務所設置の際は、小田郡と合同の小田後月地方事務所が小田郡笠岡町(現・笠岡市)に置かれた。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。(39村)
- 慶応4年5月16日(1868年7月5日) - 幕府領が倉敷県の管轄となる。
- 明治3年(1870年) - この年までに旗本領・一橋徳川家領が倉敷県の管轄となる。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が麻田県の管轄となる。
- 11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により、全域が深津県の管轄となる。
- 明治5年6月5日(1872年7月10日) - 小田県の管轄となる。
- 明治8年(1875年)
- 12月20日 - 第2次府県統合により岡山県の管轄となる。
- 寺戸村が西江原村に、七日市村が上出部村に、名越村が花滝村にそれぞれ合併。(36村)
- 明治9年(1876年)(33村)
- 北種村・中種村・南種村が合併して種村となる。
- 敷名村が井原村に合併。
- 明治11年(1878年)9月29日 - 郡区町村編制法の岡山県での施行により、行政区画としての後月郡が発足。郡役所が井原村に設置。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)6月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。全域が現・井原市。(17村)
- 高屋村(単独村制)
- 出部村 ← 笹賀村、下出部村、上出部村
- 県主村 ← 西方村、門田村
- 木之子村、東江原村、神代村、西江原村、山野上村(それぞれ単独村制)
- 青野村 ← 青野村、稗原村、北山村
- 井原村(単独村制)
- 明治村 ← 花滝村、種村、佐屋村、池谷村、井山村、片塚村
- 芳水村 ← 梶江村、簗瀬村、与井村、宇戸川村
- 足次村 ← 吉井村、天神山村、川相村
- 三原村 ← 東三原村、西三原村
- 下鴫村、山村、上鴫村(それぞれ単独村制)
- 明治29年(1896年)2月26日 - 井原村が町制施行して井原町となる。(1町16村)
- 明治33年(1900年)4月1日(1町13村)
- 郡制を施行。
- 東江原村・神代村が合併して荏原村が発足。
- 下鴫村・山村・上鴫村が合併して共和村が発足。
- 明治37年(1904年)4月1日 - 芳水村・足次村が合併して芳井村が発足。(1町12村)
- 大正11年(1922年)4月1日 - 高屋村が町制施行して高屋町となる。(2町11村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)10月1日 - 芳井村が町制施行して芳井町となる。(3町10村)
- 大正14年(1925年)4月1日 - 西江原村が町制施行して西江原町となる。(4町9村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)4月1日 - 井原町・出部村が合併し、改めて井原町が発足。(4町8村)
- 昭和28年(1953年)4月1日 - 井原町・西江原町・高屋町・荏原村・木之子村・県主村・青野村・山野上村が小田郡稲倉村・大江村と合併して井原市が発足し、郡より離脱。(1町3村)
- 昭和29年(1954年)5月1日 - 芳井町・明治村・共和村・三原村が合併し、改めて芳井町が発足。(1町)
- 平成17年(2005年)3月1日 - 芳井町が井原市に編入。同日後月郡消滅。
変遷表
行政
- 歴代郡長
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 33 岡山県、角川書店、1989年6月1日。ISBN 4040013301。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 消滅した郡の一覧
外部リンク
- 『郷土先哲後月の人人』 後月郡教育会、昭和19

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