シェノル・ギュネシュ(Şenol Güneş, 1952年6月1日 - )は、トルコ・トラブゾン出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。FIFAワールドカップ日韓大会でも母国を率い、過去最高となる3位の実績を残した。
経歴
クラブ
1967年にエルドードゥ・ゲンチュリクのユースチームでプレーしたことにキャリアは始まる。その後、トラブゾンスポルの下部組織に移籍し、後にトップチームに昇格した。1972年から1987年まで同クラブでプレーし、その間6度のスュペル・リグ優勝に貢献した。
代表
トルコ代表として31試合に出場、うち5試合でキャプテンを務めた。
指導歴
現役引退後、トラブゾンスポルの監督に就任した。1995-96シーズンでは終盤まで首位を走る活躍を見せたが、2位に終わりリーグ優勝を逃した。翌シーズンはUEFAカップに出場し、シャルケ04を破っている。その後、アンタルヤスポルなどの監督を歴任し、2000年からトルコ代表監督に就任した。EURO2000で初のベスト8進出を果たすなど着実に力を付けてきたトルコ代表だが、自身の就任後も快進撃を続け、2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではオーストリアとのプレーオフを制し、48年のブランクを経て本大会出場を果たした。本大会では、ハカン・シュキュル、リュシュテュ・レチベルらの活躍により3位入賞を果たした。大会後にはギリシャ、ブラジル、スペインからのオファーがあったものの全て断っている。FIFAコンフェデレーションズカップ2003ではグループリーグを突破し3位に入ったものの、EURO2004予選プレーオフにてラトビアに敗れ、代表監督を辞任した。その後再びトラブゾンスポルで指揮を執った後、2007年シーズンから3年間、Kリーグ・FCソウルの監督を務めた。現在は再びトラブゾンスポルに戻り、2009-10シーズン途中からは4度目の監督就任となる。
2016-17シーズンより、1年延長オプション付きの2年契約でベシクタシュJKの指揮官に就任。就任初年度からリーグ2連覇を達成した。
2018年4月19日に行われたフェネルバフチェSKとのダービーマッチにおいて、観客席から投げ込まれた物体によって頭部を5針縫う裂傷を負う。その後病院に搬送され、試合は中止となった。2019年2月には自身の希望もあり香川真司を期限付き移籍で獲得した。
2019年6月からの4年契約でトルコ代表監督に復帰した。
個人成績
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 30試合 0得点(1976年-1987年)
監督成績
- 2021年9月7日現在
タイトル
- 現役時代
- トラブゾンスポル
- スュペル・リグ : 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1980-81, 1983-84
- テュルキエ・クパス : 1976-77, 1977-78, 1983-84
- テュルキエ・スュペル・クパス: 1976, 1977, 1978, 1979, 1980, 1983
- バシュバカンルク・クパス: 1976, 1978, 1985
- 指導者時代
- トラブゾンスポル
- バシュバカンルク・クパス : 1994
- テュルキエ・クパス : 1994-95, 2009-10,
- テュルキエ・スュペル・クパス : 1995, 2010
- ベシクタシュ
- スュペル・リグ : 2015-16, 2016-17
- 個人
- トルコ年間最優秀選手 : 1979
- UEFA年間最優秀監督 : 2002
脚注
外部リンク
- シェノル・ギュネシュ - National-Football-Teams.com (英語)
- シェノル・ギュネシュ - FootballDatabase.eu (英語)
- シェノル・ギュネシュ - WorldFootball.net (英語)
- シェノル・ギュネシュ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- シェノル・ギュネシュ - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- シェノル・ギュネシュ - FIFA主催大会成績 (英語)
- シェノル・ギュネシュ - UEFA (英語)
- シェノル・ギュネシュ - トルコサッカー連盟 (player) (英語)
- シェノル・ギュネシュ - トルコサッカー連盟 (manager) (英語)
- シェノル・ギュネシュ - Fussballdaten.de (ドイツ語)

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