1976年イギリスグランプリ (XXIX John Player British Grand Prix) は、1976年のF1世界選手権第9戦として、1976年7月18日にブランズ・ハッチで開催された。

解説

7月5日にジェームス・ハント(マクラーレン)のスペインGPでの失格が取り消され、ドライバーズランキングのポイントはニキ・ラウダ(フェラーリ)が52、ハントが26という結果になった。

予選

新車312T2-4を持ち込んだラウダがポールポジションを獲得、2番手にはハントが続いた。クリス・エイモンが非力なエンサインで6位と健闘した。また、元アルペンスキー選手の女性ドライバー、ディビナ・ガリカがF1レースに初めてエントリー。しかし、もう1人の女性ドライバー、レラ・ロンバルディと同様に予選落ちした。

予選結果

決勝

スタート後ラウダがトップに立ち、予選4位のクレイ・レガツォーニ(フェラーリ)がハントを抜いて2位につけたが、その直後の1コーナー"パドックヒル・ベンド"でラウダに接触してスピン。それにハントが乗り上げ、さらにジャック・ラフィット(リジェ)とエイモンも巻き込まれた。ラウダとエイモンはそのまま走り続けたが、ラフィットのマシンはその場で止まってしまい、レガツォーニとサスペンションを痛めたハントはピットに戻った。この事故のため1周目が終了したところで赤旗中断され、この結果、赤旗が提示された時点で1周目を終了したドライバーに再出走の権利が認められることになった。これに照らし合わせると、1周できなかったハント・レガツォーニ・ラフィットの出走は認められないことになるが、ハントは中断中に修理されたM23で、レガツォーニとラフィットはスペアカーを持ち出してグリッドに付いていた。そのためこの3人に再出走の権利があるか問題となったが、地元のドライバーであるハントが出走できなくなることに観客からブーイングが発生、協議の末赤旗が出された時点で走ることが可能だったとしてハントの出走を認め、それに付随する形でレガツォーニとラフィットの出走も許可された。

1時間後、1周目からやり直す形でレースが再開。ラウダが首位を独走しハントがそれを追う展開が続き、45周目にハントがラウダを抜いてそのままゴール。優勝ということになったが、レース終了後にフェラーリ・ティレル・フィッティパルディの3チームからハントの出走の権利に関して抗議が行われた(その後、ティレルとフィッティパルディは抗議を取り下げている)。この抗議は却下されたが、マネージャーのダニエル・オーデットは国際自動車連盟(FIA)に対し再度抗議を申し入れた。その結果、9月24日になってハントの出走は認められないとして失格処分がなされ(資料によってはリタイヤしたレガツォーニとラフィットも失格処分となっている)その結果順位が繰り上がり、優勝はラウダ、2位ジョディー・シェクター、3位ジョン・ワトソンとなった。

決勝結果

  • ファステストラップ - ニキ・ラウダ:1:19.91(41周目)※レース終了時点ではジェームス・ハントの1:19.82だったが、失格処分になったため取り消された。
  • ラップリーダー - ニキ・ラウダ(Lap 1 - 44)→ジェームス・ハント(Lap 45 - 76)

第9戦終了時点でのランキング

  • :ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。チャンピオンシップには前半8戦中ベスト7戦、後半8戦中ベスト7戦がカウントされる。ポイントはチャンピオンシップにカウントされるポイント、括弧内は総獲得ポイント。ポイントと順位はレース終了時点のもの。

脚注

参考文献

  • 『オートスポーツ』 三栄書房、1976年9月15日号
  • 『カーグラフィック』 二玄社、1976年10月号

外部リンク

  • The Official Formula 1 website(2014年9月3日時点でのアーカイブ)
  • British GP, 1976 Race Report - Formula 1 history on Grandprix.com

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