アントニオ・タピア(Antonio Tapia、1959年11月13日 - )は、スペイン・コルドバ出身のサッカー指導者。

経歴

30代からテルセーラ・ディビシオン(4部)やセグンダ・ディビシオンB(3部)のクラブの監督として経験を積んだ。セグンダ・ディビシオン(2部)に属するマラガCFBの監督をしていた2004-05シーズン途中、急遽プリメーラ・ディビシオン(1部)のトップチームの監督を率いることになるも、すぐにチームを立て直して10位でシーズンを終え、地元ではタピア・マジックという言葉が流行語となった。しかし、引き続き指揮をとった2005-06シーズンは低迷し、シーズン中に解任の憂き目にあう(結局チームは最下位で2部降格)。2006-07シーズンはセグンダ・ディビシオンのポリ・エヒドの指揮を執り、クラブの歴史上最高位となる11位に躍進させた。2007-08シーズンはグラナダ74CFの監督に就任したが、21位でセグンダ・ディビシオンB(3部)降格を経験した。

2008-09シーズンは3シーズンぶりにマラガCFと契約すると、8節のセビージャFC戦では相手にシーズン初黒星をつけ、セビージャFCのマノロ・ヒメネス監督に「彼のゲームプランにしてやられた」と言わしめた。9節のFCバルセロナ戦は大敗したが、ジョゼップ・グアルディオラ監督は戦前に「とても危険な相手との本当の戦いが待っている」と表現してタピアの采配を称えた。守備を基調としながらも、攻撃的な選手が流動的にポジションを替えてリーグ6位の55得点を記録し、プリメーラ・ディビシオンで下から3番目の予算だった昇格したてのクラブを8位に導いた。契約延長の提示は受けていたものの、マラガCFや他クラブからのオファーを断って2009年6月、セグンダ・ディビシオンに降格したレアル・ベティスの監督に就任した。だが、シーズンのおよそ半分を消化して7勝7分7敗の7位と期待通りの成績を残せなかったため、2010年1月24日、レバンテUD戦敗北後に解任された。初めて1部のクラブを指揮した2005年以降隔年で結果を残した年と期待外れの年を繰り返している。

2011年1月24日、長年慣れ親しんだアンダルシア州を離れ、セグンダ・ディビシオンで迷走していたCDテネリフェの監督に就任した。

所属クラブ

  • 1986-1989 CDミジャス
  • 1989-1992 CD Fuengirola
  • 1992-1994 CD Los Boliches
  • 1997-2002 ポリ・エヒド
  • 2002-2005 マラガCF B
  • 2005-2006 マラガCF
  • 2006-2007 ポリ・エヒド
  • 2007-2008 グラナダ74CF
  • 2008-2009 マラガCF
  • 2009-2010 レアル・ベティス
  • 2011 CDテネリフェ

脚注


アントニ・タピエスその

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アントニオ・バンデラスのスペイン語の名言

聖アントニオの御像