下石津郡(しもいしづぐん)は、岐阜県にあった郡。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、海津市の一部(南濃町戸田、南濃町徳田、南濃町庭田より南東かつ海津町福岡、海津町高須町、海津町馬目、海津町内記、海津町札野、海津町深浜、海津町江東、海津町福江、海津町古中島より南西)にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている、石津郡のうち後の本郡域の明治初年時点での支配は以下の通り。(44村)
- 慶応4年
- 4月15日(1868年5月7日) - 幕府領・旗本領が笠松裁判所の管轄となる。
- 閏4月25日(1868年6月15日) - 笠松裁判所の管轄地域が笠松県の管轄となる。
- 明治初年 - 領地替えにより名古屋藩領の一部(福江村・一之瀬村・万寿新田)が笠松県の管轄となる。
- 明治3年12月23日(1871年2月12日) - 高須藩が廃藩。領地は名古屋藩領となる。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が名古屋県、大垣県となる。
- 11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により、全域が岐阜県の管轄となる。
- 明治5年(1872年)(43村)
- 8月 - 徳田新田が徳田村に合併。
- 高須町が高須村に合併。
- 明治7年(1874年)9月(41村)
- 馬飼村が中島郡川東村と合併して中島郡馬飼村となる。
- 梶屋村が改称して下梶村となる。
- 太田村・太田新田が合併して田鶴村となる。
- 明治8年(1875年)
- 1月 - 以下の各村の統合が行われる。(34村)
- 三喜村 ← 馬目村、福島村、内記村
- 三ツ葉村 ← 萱野村、東小島村、西小島村[本田分]
- 稲山村 ← 下梶村、五町村、柳湊村、西小島村[新田分]
- 羽沢村 ← 羽根村、馬沢村
- 6月(32村)
- 大里村・安江村が合併して太田村となる。
- 下一色村・下境村が合併して境村となる。
- 1月 - 以下の各村の統合が行われる。(34村)
郡発足後の沿革
- 明治12年(1879年)2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての下石津郡が発足。「海西下石津郡役所」が高須村に設置され、海西郡とともに管轄。
- 明治14年(1881年)
- 7月(1町34村)
- 高須村の一部が分立して高須町となる。
- 三ツ葉村が分割して萱野村・東小島村・西小島村となる。
- 10月 - 徳田村の一部が分立して徳田新田となる。(1町35村)
- 11月 - 三喜村が分割して馬目村・福島村・内記村となる。(1町37村)
- 7月(1町34村)
- 明治16年(1883年)11月1日 - 三重県桑名郡江内村・油島新田・金廻村の所属が本郡に変更。(1町40村)
- 明治18年(1885年)9月 - 東駒野村が分割して福岡村・日下丸村となる。(1町41村)
- 明治22年(1889年)7月1日 - 町村制の施行により、高須町、西駒野村、徳田村、徳田新田、庭田村、奥条村、羽沢村、山崎村、太田村、上野河戸村、吉田村、田鶴村、松山村、境村、萱野村、札野村、内記村、馬目村、福岡村、日下丸村、西小島村、東小島村、稲山村、高須村、安田村、安田新田、本阿弥新田、沼新田、帆引新田、万寿新田、深浜村、福江村、金廻村、油島村、古中島村が発足。それにともない以下の変更が行われる。(1町34村)
- 福島村が安八郡平原村に合併。
- 中島村・内新田・外新田および亀池新田の大部分が合併して吉田村が発足。
- 油島新田・江内村が合併して油島村が発足。
- 亀池新田の残部が松山村に、宮地村が安田新田に、七右衛門新田が帆引新田にそれぞれ合併。
- 海西郡古中島村の所属郡が本郡に変更。
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「海西下石津郡役所」の管轄区域および安八郡の一部の区域をもって海津郡が発足。同日下石津郡廃止。
行政
- 海西・下石津郡長
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室
関連項目
- 消滅した郡の一覧
- 上石津郡




